【車輌編・3・堀川工機 軌道モータカー】《後編》
主に画像を中心に・・・と、なります。
▲ 初めてのお客さん(非公式)は実は「ぷーにゃん」【20・06・14】
▲ この頃は前照灯が原因不明で故障していた。【20・07・20】
▲ ストラクチャーを充実させてゆくと車輌が活き活きしてくる。【20・07・21】
▲ 初めての夜間運転。【20・07・25】
▲ 試乗会初日。【20・09・10】
▲ せんろのすぐソバ(畑)。【20・09・13】
▲ 試乗会でのひとこま。【20・10・19】
▲ 収穫したソバの運搬。【20・11・13】
▲ みかんジュースの作り方・・・MCで1往復するだけ(?)。【21・01・20】
▲ みかんジュースの搾りカスを堆肥場へ運搬。前方の確認よりも連結棒がトンデモナイことになってるゾ?【21・02・08】
▲ 【じめたもみ先生】の【庭箱鉄道(15インチ軌道)・9633号機】との邂逅。【21・03・14】
▲ 初めての脱線。【21・03・14】
▲ 曲線緩和工事が終わるまで屋根の無い機関庫でお休み。【21・04・04】
▲ トロッコ界のアイドルも本物のアイドル(?)の前では霞んでしまう?【21・04・11】
▲ 「こんな子供が喜びそうなものを、おじさんよく作ったね」と子供に褒められた☆【21・05・08】
▲ 満員。【21・06・14】
▲ 前照灯の修理。【21・07・15】
▲ 手にしているのは前進・後進切替ギヤ。【21・07・15】
▲ 運転中の撮影はやめましょう(?)。【21・07・16】
▲ カントがきいてる。【21・07・18】
▲ また食堂車(露天)開店。【21・08・08】
▲ 体験運転をしてもらったり。【21・09・22】
▲ 通学列車(?)になったり。【21・10・12】
▲ 10月中旬以降、低温のためセルモータが重くなりエンジンの始動が困難になったため・・・坂道を利用して押し掛けするため、この場所に留置。【21・10・18】
▲ もうなんでもあり?【21・10・31】
▲ 最近はここで野宿。【21・11・08】
私と同い年の古い車輌であるためエンジンはオイルを吹き上げて白煙を吐きます。またセルモータも重くなっていますから早急に交換をしたいと思っています。その他、車体からはサビが浮き始めていますから屋根付きの場所への保管も含めて、車体のレストアもしたいと思っています。どれもが費用と時間を要するものですから・・・すぐには出来ませんが少しずつ手を付けてゆき大事に実用してゆきたいと思っています。
次回は【車輌編・4・その他】へと続きます。
【車輌編・3・堀川工機 軌道モータカー】《前編》
続いて堀川MCです。
▲ 立山砂防軌道(通称・以下略)時代の堀川工機軌道モータカー。【けいてつ協会提供】
▲ 立山から運び出される。【けいてつ協会提供】
堀川工機・軌道モータカー
※ 本文中などでは「堀川MC(モータカーの略)」などと表記しています。
機関番号 H200509
形式 CD-H2
製造番号 1381
全幅 1460mm
全長 2960mm
全高 1950mm
軸距 960mm
車輪径 400mm
機関 ニッサン2000(ガソリン)
定員 8名(運転席・助手席含む)
自重 1.5トン
製造者・製造年月 堀川工機(株)・不明
納入先・納入年月 建設省・立山砂防工事事務所・昭和45年9月
納入先形式 Tm-051
廃車 昭和末期から平成初め頃
譲渡 けいてつ協会
転属 けいてつ協会・熊野支局(平成19年11月10日)
機関応急修理 平成20年2月8日~6月2日(岡嶋商会)
配属 熊野簡易軌道・柚ノ木谷線(平成20年6月3日)
▲ 立山での廃車後、日本国内某所で保管。【けいてつ協会提供】
▲ 【風の高原鉄道】で保存中の堀川MCほか。【19・11・09】
▲ 名車に囲まれて転属の時を待つ。【19・11・09】
▲ いよいよ・・・ところが現地まで出向いた私は時間切れでここまで。【19・11・09】
ナロー・トロッコ界(?)では聖地(?)のような現役軌道がある富山県の立山砂防軌道で主に人員輸送に活躍した車輌です。現役当時は「トロッコ界のアイドル」などと呼ばれ多くの方の被写体となり「Rail Magazin No18 BEST・トロッコ」では現役時代の画像も載っています。残念乍ら老朽化などにより現役を引退し他の車輌と同じように廃車スクラップの道を辿る予定でしたが、運良く「けいてつ協会」に引き取られました。その後に何度か場所を転々とし乍らも茨城県内での走行実績も残し「多少の修理でまだまだ走行可能」とのことで栃木県の【風の高原鉄道】へ運ばれました。ここでの動態(走行出来る状態)で保存鉄道の一役を担う予定でしたが、ご縁がありまして遠く熊野の地で蘇ることになりました。
▲ 道路幅の関係で10トントラックが平谷中野駅に入れないため途中で4トントラックに積み替え。【19・11・10】
▲ 4トンユニックに吊り上げられる堀川MC。【19・11・10】
▲ 一緒に運んできた中古レールの積み替えの関係で一旦、路面へ。【19・11・10】
▲ 積み替え作業終了。【19・11・10】
▲ 4トントラックがギリギリの幅。【19・11・10】
▲ 後の平谷中野駅へ到着。【19・11・10】
熊野へ到着した堀川MCですが、サビで固着している部分がありましたし、バッテリーも失っている状態でしたからすぐに走行することは不可能でした。走行状態に戻す前にまずは走らせる線路を延長してゆく工事を進めまして、年明けから近所の自動車整備工場のご協力を戴いて「とりあえず走行が出来る状態」にすることにしました。
▲ 再び吊り上げられる。【20・02・08】
▲ 吊り上げてゆく。【20・02・08】
▲ チラリズム(?)。【20・02・08】
▲ 国道311号沿いで「看板娘」のようになっていたころ。【20・03・08】
▲ 「セル(モータ)がうんともすんとも言わない」と言われた。【20・03・08】
▲ 「ま~なんとかなりそうだけどね」とのことで安心した。【20・03・08】
▲ 「そういえばこの間、これを撮らせてくれってゆう人が来たよ」確かに国道を走っててこんなのを見付けたら叫んでしまいそう☆【20・03・08】
▲ 初めての走行。【20・06・03】
開業日(5月27日)に少し遅れて堀川MCが走行出来る状態になって戻ってきました。私にとって生まれて初めて鉄道車輌を運転しますし、生まれて初めて自分で敷設したレールの上を走るわけですからドキドキし乍ら50cm動かして停まって車輪とレールの関係を見て、また50cm動かして・・・の繰り返しで、結局(動力)処女列車が終点に到着したのは起点を発して約1時間後のことでした。
▲ 胸の鼓動が高まる。【20・06・03】
▲ 車輌銘板。残念乍ら製造年月を特定する表記は無い。【21・11・11】
次回【車輌編・3・堀川工機 軌道モータカー】《後編》では実際の活躍などを主に画像だけで紹介する予定です。
【車輌編・2・機動運搬車】
続いて機動運搬車です。
▲ 完成直後。何故か製作途中の画像を残していない。【20・05・22】
機動運搬車
全幅 1020mm
全長 1270mm
全高 400mm
軸距 600mm
車輪径 230mm(伊藤鋳工製)
使用開始 平成20年5月22日
転属 峯仮設軌道(平成21年3月10日~24日)
返却 平成21年3月25日
製造者・製造場所 熊野簡易軌道・平谷中野駅構内
▲ 軌道運搬車と。【20・05・22】
▲ 天板(荷台)は取り外し可能な構造。【20・05・22】
軌道運搬車の様々な問題を解決し機動性の高い車輌を求めて製作したのがこの機動運搬車です。それまでの軌道運搬車に比べて半分程度の大きさとなりましたが、小型にしたことによって使いやすさが向上しています。また将来の可能性へのため荷台は固定せずに取り外しが可能な構造にしています。全線で150m余りですから車輌を用途に応じて際限なく増やしてしまいますと線内に車輌が溢れてしまいます。これを避けるために「1台2役(或いはそれ以上)」の役割を与えることで無駄な車輌の増備を抑えることが出来ます。
▲ 初任務は熊簡桜台への資材運搬。【20・05・22】
▲ ダミーではあるが尾灯を付けてみた。【20・05・22】
▲ 柚ノ木谷線の開業一番列車はこの機動運搬車、お客(?)は苗箱さん。【20・05・27】
▲ ついついやってみたくなる「インチキ・タンク車」【20・10・24】
▲ そしてついつい連結運転をしてみたくなる。【20・11・14】
▲ もちろん実用としてソバの運搬。【20・11・13】
▲ 草刈列車。【20・06・18】
▲ みかん列車(?)。【21・01・20】
「機動運搬車」の名に恥じない?活躍でむしろ動力車である堀川MCよりも活躍しています。また試乗の際にも乗っていただいているのですがブレーキ無しのワイルドさ?が受けて大人から子供まで人気の車輌になっています。
▲ みかんジュースの搾りカスを堆肥場へ運搬。【21・02・08】
▲ 峯仮設軌道敷設のために柚ノ木谷線から枕木の供出・・・その運搬。【21・03・08】
▲ 峯仮設軌道用の上回りを載せて柚ノ木谷線で試運転。【21・03・12】
▲ 峯仮設軌道での実用。【21・03・15】
▲ 峯仮設軌道での実用。【21・03・17】
▲ 峯仮設軌道の用途廃止に伴い、柚ノ木谷線への返却を待つ機動運搬車。【21・03・23】
▲ 原木輸送?【21・04・17】
▲ 子供たちに大人気。【21・05・08】
▲ 食堂車(露天)になったり。【21・08・04】
▲ また別の子供たちにも人気だったり。【21・08・11】
▲ 二階建て(?)車輌になったり。【21・08・19】
▲ またまたまた・・・人気者であったり。【21・09・20】
▲ また日々の日常の中の実用で使われたり。【21・10・23】
などと、その使用範囲はとても広く、また使いやすい車輌になっています。今後も主力車輌として活躍してゆくことでしょう。
次回は【車輌編・3・堀川工機 軌道モータカー】の予定です。
【車輌編・1・軌道運搬車】
車輌編に入ります。
タイトルや過去の記事で「軌道運搬車」と表記していましたが、実は手元の資料を調べてみると「軌条運搬車」とゆうことが判明しました。なんともいい加減なものですが特に形式や番号はありませんから「(便宜上の)愛称」のようなもので呼んでいますので、どちらが間違いでどちらが正しいとゆうことも決めていません。しかし話が絡まりそうなのでここでは「軌道運搬車」で統一したいと思います。
▲ 当然(?)図面なんかあるわけない。【20・02・10】
軌道運搬車
全幅 1560mm
全長 2800mm
全高 不明
軸距 1200mm
車輪径 230mm(伊藤鋳工製)
使用開始 平成20年2月11日
使用一時停止 平成20年7月10日(平谷中野駅ホームへ転用)
使用中止 平成20年12月7日(同日・熊簡桜台信号所へ回送)
廃車 平成21年5月21日(熊簡桜台乗降場ホームへ転用)
製造者・製造場所 熊野簡易軌道・平谷中野駅構内
▲ 作り乍ら考える。【20・02・10】
柚ノ木谷線のレール敷設にトロッコが必要になりまして・・・レールが運べてモール・ペーシ・スパイキなどの材料を載せて、更にジンクロなどの道具を載せられる車輌とゆうことで製作しました。当初、屋根付きも考えましたがレールの積み下ろしに難儀しそうでしたからただの平台車となりました。
▲ 図面が無い代わりに「こんなこと」をしてイメージを膨らませていた。【20・02・06】
車輌の大きさの基準を堀川工機MC(【車輌編・3】を参照)に合わせて全長・全幅を決めまして製作しまして確かに多くの物は運べるのでしたが、その大きさ故に今ひとつ機動性に欠ける車輌でした。また台枠を含めて車輪・軸受け以外は全て木製であるため、歪みが大きくレールへの接地が悪くなり・・・特にカーブでの空車時の脱線が頻発していました。これを打開するためにスプリングを入れることも検討しましたが、役割を後に製作する機動運搬車(【車輌編・2】を参照)に引き継ぐこととして車輌としての役目を早々に終わらせることになりました。
▲ 完成。【20・02・11】
台枠は3寸5分角の檜材を使用しました。また強度などを考えて床板をきっちり張ったこともありまして重量が増してしまいました。また軸距を1200mmと長く取ったため曲線の通過が厳しく頻繁に脱線をしました。特に作業中に脱線が発生した時は、一旦積んでいるレールや資材を下ろしてこの車輌を復旧させて・・・それもかなりの重量でしたから復旧にも手間取る・・・などと二度手間三度手間になることが多く発生しました。
▲ 軽トラ程度の大きさ。【20・02・11】
とは言え、わざわざこの大きさで車輌を製作しましたのには理由があります。もしもこれよりも小さい車輌・・・例えば15インチ軌道並みの車輌を製作した場合、「その程度の大きさなら線路は必要ないのでは?」とゆう疑問に対して、この程度の大きさは不可欠とゆうことを実践して軌道の必要性を訴えたかったわけですが、安易な工作の上に出来上がった車輌であったため「大活躍」とまではならずに、少し中途半端な活躍に終わってしまった不運な車輌と言えるかも知れません。
▲ レールを運ぶ・・・とゆうのなら安定して運べる大きさではある。【20・02・11】
機動運搬車の導入によってこの車輌の出番はほぼ無くなりました。一時はスクラップも考えましたが、結果的にはその大きさを有効に生かすために平谷中野駅のホームへ転用することにしました。ただ平谷中野駅もいずれ新ホームを作る計画がありましたから、車輌として車輪付きのままホームへ転用とゆう形を取っています。昨年(平成20年)に訪れた方は車輪付きのホームをご覧になれたかと思います。
▲ レール敷設工事に従事。【20・03・09】
▲ 平谷中野駅ホームへ転用。【20・07・10】
平谷中野駅のホームに転用はしましたが、最終的には雲駅ホームに転用との思いで車輪を残したままにしました。結局は雲駅ではなく熊簡桜台乗降場になったわけですが、ここも構内配線を変更する予定がありますから安住の地にはなりそうもありません。防腐材を塗った檜材とは言え木製ですからいずれ朽ちてゆくこともあるかと思いますが、何らかの形ででも実用とゆう形で残していってあげたいとゆう思いがあります。
▲ この時点ではまだ車輌だった。【20・07・15】
▲ 平谷中野駅の新ホーム完成によって用途不要になった旧・ホームに使用されていた軌道運搬車を熊簡桜台まで自力回送。これがこの車輌の最後の走行シーン。【20・12・07】
現在では車輪も無くなりただの「台」になってしまっていますし、今後も車輌としての復活も無さそうですが軌道沿線の盛り上げ役?として沿線のどこかで使いたいと思っています。当分の間は「熊簡桜台乗降場」で活躍(?)しています。
▲ 軌道運搬車だった現在の熊簡桜台乗降場ホーム。【21・11・07】
次回は【車輌編・2・機動運搬車】です。
【柚ノ木谷駅】
やっと終点に到着です☆
柚ノ木谷(ゆのきだに)駅
・開業 未開業
・駅中心キロ程 0k154m000(予定)
・乗降客 未開業
・設備 未開業
▲ 柚ノ木谷駅予定地。【18・08・28】
熊野簡易軌道・柚ノ木谷線の目的地、柚ノ木谷です。正確には熊簡桜台乗降場で既に柚ノ木谷に入っていますが、その奥(東側)にこの駅を作る予定です。この奥へ更に進むためには大きな段差を克服しなければならないのですが、現実的に難しいので柚ノ木谷線はここが終点となります。
▲ 柚ノ木谷駅ホーム新設工事。【18・08・28】
柚ノ木谷は・・・駅名・線名としては「ゆのきだに」としていますが、人によっては「ゆうのきだに」と発音するようです。また別の人によっては「ゆのきだに」「ゆうのきたに」「ゆのきたに」と違いますので、特に深く考えずに「~駅」「~線」を付けた場合でも発音しやすいように「ゆのきだに」と読むようにしています。
▲ 完成した柚ノ木谷駅とレールの敷設を待つばかりの枕木。【18・12・17】
当初は柚ノ木谷までの一括開通を進めていましたから、他の区間や駅と同様に・・・一旦はホームも完成し枕木も並べました。余計な?設備はおいおいに作ってゆくこととして、それよりも開通を優先させるつもりでしたから分岐無しの1面1線(上記画像参照)の小さな終着駅の予定でした。しかし雲~蟾島口の間の石垣の崩壊で柚ノ木谷への開通を当面見合わせることになりまして、枕木と完成したホームの撤去を行っています。ホームの撤去については・・・開通に合わせて分岐器や駐泊庫・転車台などの設備を揃えて・・・そのために若干、構内が変わりますので撤去しました。
▲ 県道から見た柚ノ木谷線と柚ノ木谷駅。蟾島口付近まで砕石が入っている。【19・04・17】
▲ 桜の満開。【20・03・29】
狭くそして深い谷、南側は植林された杉や檜が大きく育っているため夏場でも日当たりはとても悪く、この谷に広がる棚田も一日中太陽の恩恵を受けられない場所もあります。田圃(米)に限らずどんな作物であれ太陽が差さない場所での栽培は思うように収穫も出来ません。谷を流れる沢も1週間も雨が降らないとすぐに枯れてしまいます。そんな条件の悪い柚ノ木谷なのですが、5年前に私が生まれて初めて作った田圃があるところですから・・・一部を畑に転用したとしても今後も田圃を作り続けてはゆきたいと思っています。その肥料運搬や収穫物の運搬など・・・その中心になるのがこの柚ノ木谷駅です。逆に現在、実用とゆう意味から少し離れているのは全通していないからなのです。
▲ すっかりまた何も無くなった柚ノ木谷駅。【20・04・11】
前述しましたが実用と趣味(?)を兼ね備えて・・・駐泊庫・転車台・ホーム・駅舎・農業倉庫・・・などを設置する予定です。もっともひとつひとつ作ってゆきますから何年も掛かるかと思いますが。その他いろいろと余計な設備なども作ってゆくかと思います。それよりもまずは全通への線路工事を・・・と思っています。目標は来夏くらいには?と思ってはいますが、どうなるかはまだわかりません。
▲ 側線は未定で本線はこんな感じに変更予定。【20・06・18】
「全線150m」と言ってますが、当初の柚ノ木谷駅の構内配線で150mでした。そこから多少構内配線を変更して約154mになります。詳細なルートを決めていませんから、場合によっては「160m」くらいになるかも知れません。どんぐりの背比べみたいなものですが10mでも延長が伸びるのなら・・・それはまた楽しみが増えるとゆうことです。
これにて各駅の案内(?)を終わります。次回以降は未定分も含めて下記のように考えています。
・【車輌編・1】
・【車輌編・2】
・【車輌編・3】
・【踏切】
・【(仮称)中野隧道】
・【(仮称)柚ノ木谷橋梁】
※ 順序は変更になる場合があります。
【蟾島口乗降場】
続いて蟾島口乗降場です。
蟾島口(びきしまぐち)乗降場
・開業 2008(平成20)年5月27日
・営業休止 2008(平成20)年11月17日
・駅中心キロ程 0k134m850
・乗降客 不明
・設備 駅名表のみ
▲ 画面の手前が蟾島口乗降場だが、この時点では設置の予定は無かった。【18・08・28】
雲駅から柚ノ木谷駅までの距離が40m余りでしたし、当初の線形はほぼ直線でしたから、ここに乗降場の設置予定はありませんでした。しかし柚ノ木谷への一括開通を諦めましてから、通常なら雲駅で終点にしても良かったのですが・・・やはり1mでも長くとゆう思いがありまして、手押し車輌専用区間として雲駅からこの蟾島口乗降場まで延長することにしました。
▲ 設置する予定は無かったので何も無い・・・後の蟾島口(赤線)。【18・12・17】
▲ 変化無し。【19・02・20】
▲ 開業前日。【20・05・26】
崩れた石垣の都合で動力車(堀川MC)の進入は出来ませんでしたから、敷設方法もかなりいい加減な区間でした。ゆくゆくは線路を一度撤去する必要(石垣の修復)がありましたからスパイキを使わずに丸釘を使ってレールを留めていましたし、一部に6kg/mレールも使用していました。この区間を乗車した経験のある方はその酷さ(?)を覚えていることでしょう。撤去する前提の区間でしたから・・・撤去のしやすさを考えての工法(?)でした。当然実用にも程遠く、開業日(平成20年5月27日)に数枚の苗箱を運んだ以外に貨物・荷物の出発も到着も実績がありません。
▲ 当初は駅名表もホームも何にも無かった。【20・05・26】
そんな意味も無いような小さな乗降場ですが、駅名だけは立派なものを付けてあげたいと思っていました。そしてそれはなるべく本来地域にある地名から名付けたいと・・・出来れば名所か名勝か?そんなところへの入口とゆう意味で「●●口」と考えていました。柚ノ木谷の奥の山は「大人平(おおびとだいら)山」ですから・・・「大人口(おおびとぐち)」でもこれでは「おとなぐち」とか「だいじんこう」とか言われてしまいそうです。そんな頃に・・・以前から地図に「蟾島岩(びきしまいわ)」とゆう表記があるのを知っていたのですが・・・その蟾島岩へ行ったとゆう人の話しを聞きまして私も行ってみたくなり詳しい道順などを聞き・・・その岩へ行きました。
▲ 蟾島岩に比べたら誰でも知っている大丹倉(おおにぐら)から見た「蟾島岩」名前の由来は知らないが、カエルをビキとこの辺りでは呼ぶのだそう・・・なるほどここから見るとカエルが座っているように見える。そしてあの岩の裏側に私の家と軌道がある。
▲ 実際に蟾島岩へ来ました・・・でも?
▲ 登れるの?しかしここまで来たからには登ってみたくなって挑戦・・・残念これが限界。これ以上登ると下りる自信がありません☆
▲ 岩に登らなくても景色は最高にいいです。右側が大丹倉で左側の集落は育生町粉所(こどころ)。
蟾島岩本体へは登れませんでしたが、それでも私のお気に入りの場所になりました。そんなわけでこの蟾島岩への入口とゆう意味を込めて「蟾島口乗降場」と名乗るようにしました。もっともこの乗降場がその入口だと言うのなら他の各駅も「入口」を名乗ってもいいくらいの距離なのですが、その辺りは深く考えていません。
▲ すっかり枕木も撤去した柚ノ木谷方面を見る。【20・05・26】
▲ 蟾島口乗降場の機動運搬車と石垣の手前で停まる堀川MC。実はこの駅名表の「蟾」の字が間違っています☆【20・07・15】
▲ ほぼ廃線跡のような現役時代。【20・07・20】
▲ 試乗会に来てくれた近所の方々、蟾島口乗降場にて。【20・09・10】
当初の試乗会の期間の最終日(平成20年11月16日)限りで一旦営業を休止し即日、同区間のレールも撤去しました。柚ノ木谷延伸の際には若干の移転を行いますが開通に合わせて営業を再開する予定でいます。降りてもどこにも行けないような意味の無い乗降場になってしまうかと思いますが、ホームと待合室くらいは建ててあげたいと思っています。
次回は【柚ノ木谷駅】の予定です。
【雲駅】《後編》
あっちのブログに「くたくたのくた」と書いておきながらこっちを更新です、あはは☆もっとも今日は向こうも更新してしまいましたが、あはははは・・・ですね☆
▲ 工事中の雲駅。【18・08・28】
実は雲駅は当初は現在の位置・・・移転後の位置で開業させる予定でした。結果的に開業した位置が変わったのは一括の全通を諦めて、それでも延長を1mでも長くとゆう思いからでした。ですから開業した駅は降りても行くところも無いようなネコの額ほどの場所にあったのはそんな理由です。ただ柚ノ木谷方面への工事を行うことになりまして、その作業の邪魔にもなることから元の位置・・・当初の位置へ移転したとゆうわけです。
▲ 農作業のことを考えると雨の日の作業も・・・当初はしていた。【18・08・28】
この画像の時点で駅のホームを作り始めているのはこの雲駅と終点の柚ノ木谷駅だけでした。平谷中野駅については・・・どう考えていたのか覚えていませんが、もしかしたら当初から軌道運搬車をホームにするつもりだったのかも知れません。柚ノ木谷駅はともかくとして・・・実は雲駅に関しては駅のホーム作りを大幅に急いでいました、もちろん線路も含んでですが。
▲ すぐ横はソバ畑。【18・08・28】
この雲駅の場所の横に私のソバ畑があります。ソバは製麺して製品にして販売するつもりでした。その製品名を「駅のすぐそば(蕎麦)」にするか「線路のすぐそば(蕎麦)」にしようか?とゆう思い付きがありまして、とりあえずこの雲駅の付近だけとにかく線路の敷設と駅の建設を急いでいたとゆうわけです。
▲ なんとなく形になった駅と線路。【18・09・02】
その突貫工事によって雲駅ホームが完成し線路を敷設しました・・・と言いましてもこの時点で駅名表はありませんでしたし、レールも枕木の上に6kg/mレールをただ置いただけの状態でした。ただ早く撮影をしないとソバは強風で倒されますから・・・まさか製品のラベルにくっちゃくちゃになったソバ畑の画像は貼れませんから・・・そんなこともあって急いでいたのですが、結果的にはこの9月2日に画像を撮った直後の台風で・・・くっちゃくちゃになってしまいました。
▲ 現在地とほぼ変わりは無いが形態が多少違う。【18・09・02】
駅のホームに駅名表を立てる前に画像を撮れなくなってしまいましたから「駅のすぐ蕎麦(製品名)」を諦めて「線路のすぐ蕎麦」とゆう名で販売することになりました。名前のおかげはどうだったか知りませんが、お陰様で即日で完売しました。それ以降は「せんろのすぐそば」と平仮名表記に変えて販売しています。今年は小麦が不作だったため、製品化は少し難しいかも知れません。また来年をお楽しみにしていただければ幸いです。
▲ 「線路のすぐ蕎麦(製品名)」に使った画像。よくよく見るとレールは置いてあるだけだし、熊簡桜台方面はバラストも敷かれていない。おまけにソバ畑のソバは花が咲く直前だったりして☆【18・09・02】
そんなわけでここのレール2本分(5.5m×2=11m)の道床は他の区間と少しだけ違う状態で現在に至ります。まず他の場所と違いますのは・・・真面目にきっちりと工事をしました(?)ので未だに草が生えにくくなっています。これは現地を見ていただくのが一番いいのですが、はっきりと前後の区間と比べると草の生え方が違うのにお気づきになるかと思います。バラストも適した大きさがわかりませんでしたから25mmの丸石を使いました・・・丸石を使ってしまったので結果的にバラストが流れやすく(突き固められず)なりましたが、知識も経験も無ければ最初はこんなものです。そして枕木・・・これも「防腐」とゆう意味で「コールタール」をねっとり塗りまして並べました。ただこれではやけに枕木が真っ黒になってしまいまして、他の区間では「クレオソート」を塗ってこげ茶色に仕上げています、やはり見た目も重要なのです。
▲ 置いただけ・・・でも軌間は610mmに合わせていた。【18・09・02】
ですからもしも現地を見る機会がありましたらこの雲駅の前の道床と他の区間を見比べてみてください(ただレール自体は実際の敷設の際に9kg/mレールに改めています)。レールの敷設開始は現在の平谷中野駅からですが、道床の最初の完成は実はこの雲駅からだったのです。また熊簡桜台方面から雲駅に到着する寸前で不自然な急カーブがありますが(気が付く人は少ないです)、この急カーブは最初に雲駅前の道床を作ってしまったため、熊簡桜台方面から工事を進めた時に無理矢理、繋げた・・・その結果に出来上がった急カーブなのです。もしも順序通りに作っていましたらもっと緩やかなカーブになっていたかも知れません。
▲ その後の状況。畑はソバのあとに蒔いた小麦。【18・12・17】
そんな途中のことを楽しみ乍ら工事を進めています・・・ですからいつまで経っても進まないとゆうこともあるのですが☆そんなわけで雲駅の紹介でした。
次回は【蟾島口乗降場】 続いて【柚ノ木谷駅】 【車輌編・1】【車輌編・2】【車輌編・3】などと続く予定です。お楽しみに☆・・・ただ農繁期で多忙なため、時々の更新になるかと思います。
【雲駅】《中編》
続いて《中編》です。
▲ 旧・雲駅。【20・07・20】
【現状と今後の予定など】
前述の通り当初は柚ノ木谷までの一括開通を目指していましたが石垣の崩壊がありまして、その修復工事の関係で暫定的な開通となっています。全通は出来なくとも少しでも延長を長くとの思いがありまして、動力車の終点を「雲駅」として、手押しトロッコの終点をこの先の「蟾島口」として開業していましたから、この石垣崩壊地点より遠方へはまだ堀川MCの入線はありません。その後に石垣復旧作業に支障がありまして現在この区間(雲~蟾島口)は線路そのものも撤去して休止中となっています。
▲ 旧・雲駅。【20・07・15】
▲ 旧・雲駅遠望。【20・07・10】
他の乗降場と変わらないような形態の「駅」ですが、実はここも当初は分岐器を設ける予定でしたので駅として開業しましたが結局、乗降場のようなままになっています。暫定開通区間の動力車の終点として貨物側線とホーム及び上屋を考えていましたが、その労力を全通の工事に向けたため実現していません。またホームも当初は土盛りのホーム(後編にて後述)と駅舎を設ける予定で途中まで工事をして後に変更しています。現在のホームは、大井川鉄道井川線・大加島(おおかじま)駅や犬間(いぬま)駅(共に新線切替で平成2年10月2日廃止)などをイメージしていますが、その通りになったかと聞かれますと・・・程遠いかと思います。
▲ 現・雲駅付近から熊簡桜台方面を見る。【20・06・18】
▲ ホーム設置前の旧・雲駅。駅を示すものは何も無かった時代。【20・06・03】
当初は現在の駅の位置で開業予定(後編で後述)でしたが、やはり1mでも営業区間を長く・・・との思いから、現在の駅の位置で土盛りホーム設置→それを撤去→旧駅の位置で開業→移転とゆう経緯があります。この旧駅から現在駅への移転は石垣復旧作業と、それに付随して「仮称・柚ノ木谷橋梁」の架橋工事に支障があるためです。旧駅には現在は何も残っていません。また将来、全通後に旧駅への再移転も考えていますが実現させるかこのままか?までは煮詰めていません。どちらにせよ待合室と便所を設けたい(農作業の関係)ものですから現状の当駅の形態も変わる可能性があります。
▲ 廃線直後・・・ではなくて、開通直前。【20・05・19】
▲ 現駅(手前)と旧駅(その向こう)。桜の季節に。【20・03・29】
熊簡桜台から谷側に柚ノ木谷線(610mm軌道)が敷設されていますが、これとは別に雪泊駅(熊簡桜台乗降場の項を参照)から山側に軌道を敷設し、当駅の柚ノ木谷寄りで交わる別線の計画を立てています。この線は桜台から雲にかけての農地へ(から)の運搬をスムーズにすることと、柚ノ木谷の奥の方をフォローする目的で381mmでの「別線」として考えています。またこの別線は農業資材や農作物の運搬の他、15インチ車輌を保有する他社個人鉄道からの乗り入れも目的にしようかと思っていますが、まずは柚ノ木谷線の全通と桜台付近の改良工事が先になりそうです。別線は実現しますと具体的には延長100mくらいの路線にはなるかと思います。
▲ 標識を立ててみた・・・線路も無いのに。【19・05・12】
▲ 新旧・雲駅付近から柚ノ木谷方面を見る。この時点では柚ノ木谷駅のホームが完成して枕木を並べ終わり、蟾島口付近までバラストを入れてある。【19・03・04】
一時、当駅から下側へ農作業用に「みかん山モノレール」の敷設を考えて実際にモノレール軌条と車輌を入手しました。これは谷の下の方から(へ)の運搬が厳しいため敷設を考えましたが地形の関係で理想的な路線が思い浮かばずに、後に「他社、個人モノレール鉄道」に譲渡して実用と趣味に活躍しているそうです。ただモノレールは一度は諦めていますが、しかし谷の下側への運搬はまだ解決していませんから今後の課題として索道なども検討したいと思っていますし、もしも実現出来たならその積み替え「駅」としてこの雲(ん)駅を駅らしく活躍させたいと思っています。ただ当面は現状のままとなります。
▲ 当初から石垣は多少の崩れはあったので画像手前のように「簡単な橋」を作り柚ノ木谷までの開通を目指して工事を進めていた。この橋の上には実際にユンボも乗れたので強度はあったはずだが、この後に更に石垣の崩壊が進み安全性が確保出来なくなったため一括の全通を諦めた。【19・03・04】
※ 過去の一部の記事を「下書き」に移しました。このためこれらの記事は公開しませんが、修正の後に一部は改めて公開の予定です。【21・10・26追記】
次回は【雲駅】《後編》へと続きますが、今日中に更新出来ますか?それともいつになるかわからないくらい先になりますか☆
【雲駅】《前編》
久し振りの更新です。年明けまでは農繁期になりますのでこんな感じで時々の更新になります。今日は朝から雨降りなので☆
雲(ん)駅
・開業 2008(平成20)年5月27日(平谷中野駅起点0k115mの地点)
・移転 2008(平成20)年11月17日(現在地)
・駅中心キロ程 0k108m500
・乗降客 不明
・旧駅設備 プラットホーム(平成20年7月15日使用開始・移転に伴い平成20年11月16日使用廃止撤去)
・新駅設備 プラットホーム(平成20年11月17日使用開始・平成21年4月19日改良)
▲ 雲駅ホーム改良工事竣工。【21・04・19】
【駅名について】
当初柚ノ木谷までの一括開通を目指していた時には終着駅になる予定がありませんでしたから「日本一短い駅名(自称)」を付けようとのことで「ん駅」が誕生することになりました。しかしせっかくならば平仮名駅名ではなく漢字を当てたいと思いまして「雲」とゆう漢字を当てています。「雲は”ん”と読めるのか?」とゆう疑問を戴くことがありますが、根拠は北海道釧路管内釧路町内の地名「浦雲泊(ぽんとまり)」に由来します。浦を「ぽ」と見て泊は「とまり」・・・残った雲は「ん」と読むほか無い?とゆうことです。当て字と言えば当て字になりますが雨雲の通り道の紀伊半島ですから「雨(う)」ではなくて「雲(ん)」とゆう駅名を付けました。
▲ ホーム改良前。【21・04・18】
その後、終着駅になる可能性が生まれまして・・・終点の駅名として相応しくないかも知れないと思い始めました。柚ノ木谷への開通の想いを込めて「柚ノ木谷口」「新柚ノ木谷」も考え、開通後に「雲(ん)」に改称しようかとも思いましたが、やはり目的地の駅名を先に付けてしまうと・・・目的地に辿り着かないままここが本当の終着駅になってしまいそうな気が起こりまして、別の駅名を考えました。
▲ ホーム改良前。【21・01・11】
北海道釧路管内音別町(現在は釧路市)内に「霧里」とゆう地名があります。音別川の支流(ムリ川)沿いにある地名で読み方も「きりさと」ではなく「むり」と読みます。その地名に惹かれて何度かそこへ行く予定を立てましたがことごとく予定が崩れて行くことが叶いませんでした。ですからどんなところなのか実際にはわかりませんが勝手な想像の中の話で北海道の中でも気に入っている場所です(行ったことも無いのに)。
▲ 雲駅移転。【20・11・17】
個人で鉄道を敷設したいと想いを誰かに伝えるとたいてい返ってくるのは「不可能」「絶対無理」とゆうことが私の場合は多かったような気がします。しかし工事を開始して実現しそうになりましたから「決して無理ではない」とゆうことが現実になりました。まだまだ(その時点で)途中だけれども「無理ではない・・・」そう「ムリではないキリサトだ」とゆう思いを込めて訓読みに変えた「霧里(きりさと)駅」の案を思い付きました。
▲ 移転前の現在の雲駅の場所。
一時は駅名表も「霧里(きりさと)」で作り始め(下書きの時点)ましたが、しかし雲(ん)よりも地名らしい駅名の「霧里」を名乗ってしまうと・・・この柚ノ木谷の地名が「霧里」と勘違いされてしまうかも知れないと思い(柚ノ木谷駅が開業していないので)、やはり直前で「雲(ん)駅」に戻しています。ですから開業当時から駅名の改称は行っていないのですが、開業前の仮称駅名の時点では何度か変わっています。ただここは霧が多く発生する山奥ですから、何らかの形で「霧里(きりさと)駅」を復活させたいとゆう思いもあります。雲(ん)・雪泊(ゆきどまり)そして霧里(きりさと)と「雨かんむり」の駅名を考えてしまいますが、まぁ個人的に「雨かんむりの漢字」が好きなのです。
▲ 移転前の旧・雲駅。【20・09・12】
また勝手に鉄道を建設していますからどんなことを実現しても「自称」とか「非公式」になるわけですが「ん」で始まる(1文字ですが)国内唯一の駅名になります(※他社個人鉄道でもしも「ん駅」が存在してても同様に「自称」「非公式」だと思いますので存じ上げていません)。またローマ字表記を含めて(これも自称・非公式ですが)日本一短い駅名の・・・つもりです。逆に長い名称・駅名は嫌いで、長くなりそうになると略したくなります(白熊駅のように)。そこで平谷中野駅も「平中」「平野」「谷中」「谷野」などと略すことも考えましたが、本来の意味が通じなくなる可能性もありまして、ここに関しては略さずそのままにしました。
▲ 下から見上げた旧・雲駅。【20・09・12】
【日付修正】 旧駅ホームの使用開始の日付が違っていましたので修正しました。本文修正済みです。
次回、【雲駅】《中編》へ続きますが・・・今日中に更新出来そうな気配です☆
【熊簡桜台乗降場】《後編》
☆ 次回10月25日(日)又は26日(月)のどちらかの夜に更新予定です。もう少しお待ちください☆【21・10・23追記】
やっと書き上げましたので更新です。相変わらず日付の設定がわかりませんから(調べる気も無し?)【熊簡桜台乗降場】《前編》は10月7日の日付になっていますのでそちらをご覧ください。
《前編》の続きです。
・今後の予定
▲ 随分な勾配・・・とゆうのはこの時点でもわかっていた。【20・03・29】
当初は駅での開業予定でしたが前述の通り信号所で開業し現在は乗降場化しています。概ね柚ノ木谷線の全通後に駅へ昇格させたいと思っています。しかしこの熊簡桜台の手前に85‰(パーミル)の勾配がある他、白熊から雲方面へ40~50‰が続いている難所でもあります。この乗降場のホームも50‰の途中に位置しています。晴れていればこれらの勾配も特に問題はありませんが、ちょっと小雨が降りますと車輪がスリップしてしまい勾配を上るのも下りるのも大変危険です。現在は焼砂を撒いて克服していますが、やはり安全は優先したいものですから白熊~雲の間の勾配緩和工事を行いたいと思っています。現在の本線を改良する方法もありますが多少の遠回りをして勾配を緩和し、当駅は通過可能なスイッチバック駅とゆう形で計画(?)を練っています。これによって10mほど本線の延長が延びて最急で40‰程度に抑えられそうです。
▲ 当駅前後の軌道改良(勾配緩和)工事の素案。【21・10・16】
上記の図は「落書段階」ですからまだまだ具体的には書き換えてゆきますが、白熊方面から現在線よりも山側を通り引上げ線に入ります。ここで後退し「(新)熊簡桜台駅」に到着します。位置としては現在の場所よりも白熊寄りになります。ここにホーム1面の駅を作り駅舎も建てたいと思っています。雲方面へは再び本線上の分岐器を介し(図ではめちゃくちゃな線形ですが)小さな曲線を描き現在の本線へ合流してゆきます。この新線によって「目的地まで最短距離で結ぶ」とゆうことが当初の目的が失われてしまうのですが安全輸送のためにはそれも仕方ありません。また引上げ線・駅それぞれの分岐器については煮詰まっていませんから決めていませんが「シーサスクロッシング」なんて・・・やはり似合いませんからやめておきましょう。それから図中に気になる(?)もう1本の線・・・これを辿ると「雪泊(ゆきどまり)」とゆう駅があります。この駅についてはまだ実際に設置するかどうかはわかりませんが、貨物扱いの出来る駅として検討中です。
▲ 機動運搬車の試運転。【20・05・22】
元々熊簡桜台は隣接する畑への利便を考えての設置でしたが、このスイッチバック案を実行しますと畑から遠くなり実用しにくくなります。「それなら引上げ線と駅を逆に」と言われてしまいそうですが、これは後述しますので、駅も引上げ線もこの位置が適当なのです。引上げ線に貨物ホームなどを設置して熊簡桜台の扱いにしてもいいのですが、せっかくならば言い訳を付けて支線を敷設して新たな駅を・・・とゆう思いがあります。これによって一度は消えた(仮称)駅名を復活させることが出来るようになります(平谷中野駅参照)。熊簡桜台を含めて雪泊も線路の配線をどうするのか煮詰まっていませんがそれぞれの駅の役割としては「熊簡桜台・荷物と旅客」「雪泊・貨物と旅客」と考えています。また雪泊駅に関しては駅全体を屋根の下にして機械倉庫も兼用しようとゆう思いもあります。
▲ 開業前日なのに廃線後に見えるので不思議。【20・05・26】
この図で熊簡桜台駅の位置がどうしてもここでなくてはならない理由と言いますのは・・・現在の駅の位置付近に建物を建てて宿泊設備を設けたいと考えています。完全に宿泊施設と言ってしまっては旅館業法などに引っかかりますから大声では言えませんが、北海道に多くあるような「ライダーハウス的」な意味です。寝具を提供すると旅館業法に引っかかりますが寝具を提供しないと引っかかりません。ですから男女の部屋くらいは分けて各自が寝袋などの寝具を持参してくれば「雨風凌いで横になれる場所」を提供することが出来ます。それを昼寝するか、泊まるかはその人次第?それを設置したいために駅の場所がそこでなくてはなりません・・・駅から建物まで「線路を横断することなく辿り着ける」とゆうことです。逆に引上げ線に駅を設けてしまいますと建物の位置を変えない限り線路は横断しなければなりません。「線路横断がまた楽しい」とゆう考えがある一方で、やはり細かいことですが楽しく遊ぶ(?)ためには安全を優先したいと思っていますから無用な線路の横断を必要とする経路は考えないほうが無難だと思っています。
▲ しびれる画像・・・と思ってます。堀川工機MC初入線の日。【20・06・03】
まだ図面は落書状態ですし測量もしていませんし・・・単なる思い付きに近いのですが勾配の緩和で安全輸送のほか、200mにも満たない小さな軌道に変化をもたらすとゆう意味でも実現させてみたいと思っています。この勾配緩和工事自体は・・・スイッチバックにするかしないかは別にして行う予定ですが、なにしろ柚ノ木谷まで全通して以降の話になります。またこの改良工事終了後は白熊~熊簡桜台の間にある切り通しを隧道化する予定です・・・そんなことをやっているといつまで経っても完成しそうにありません。さらに直接関係のある建物や付属物などのストラクチャーに力を入れてしまいますといよいよ終わりが無くなりそうです。ただウエザリングとか植物の繁殖などは私がやらなくても勝手に進行してくれますからその点では助かります。
▲ 85‰を上る。【20・07・21】
果たしてどこまで実現させることが出来るのかはわかりませんが、そんな想いを抱いて夢を膨らませています
▲ 熊簡桜台信号所(当時)の外れで道床が沈んできたため約1トンの砂利を入れた。【20・09・01】
▲ 信号所時代のホームと現在のホームがまだ車輪付きでレールの上に乗っていたころ。【20・12・07】
▲ 熊簡桜台(手前)と雲駅(奥)の関係。柚ノ木谷線内で最も駅間距離が長い区間で約45mある。【20・12・08】
次回は【雲駅】《前編》へ続きます。またそれ以降は《中編》《後編》へと続く予定です。現在私の仕事・・・農業が農繁期にあるため更新が出来にくくなっています。次回の更新まで気長にお待ち戴けたら幸いです。