【みかんヶ丘乗降場】

雨ですね~現在天候待ちですのでこんな時間に更新です☆



みかんヶ丘(みかんがおか)乗降場

・開業  未開業

・駅中心キロ程  0k025m000

・乗降数 未開業

・設備  プラットホーム・便所・待合室(それぞれ予定)


  


・駅名の由来  平谷中野駅と当乗降場の次の白熊乗降場との距離が約40mとゆうこともあり当初は設置の予定もありませんでした。私がこの軌道敷設を夢見たのには様々な思いがあり「何かひとつのこと」が影響していたわけではありません。実に多くの様々なことが重なり夢が膨らんでゆきました。ですから改めて「こうゆうことに影響されて・・・」とゆうことが単純に言えません。小学生の時に「(北海道の)簡易軌道」の存在を知り(今から思えば簡易軌道全廃後10年あまりでしたから痕跡は多く残っていたのでしょうが、小学生でしたから☆)中学生になってからナローゲージ・トロッコそういった分野に興味を持ち始めました。受験を控えた冬のある日、新聞のテレビ欄に「トロッコが好きだった少年」とゆうタイトルの放送があることを知りました。ところが再放送か何かだったのでしょうか、とんでもない深夜の放送で・・・それでも家族が寝静まったあとで1台しか無かったテレビでその放送を見ました。ある少年がトロッコ鉄道の実用と保存(※1)を夢見て模索している途中の旅先で走行中の汽車から転落し亡くなった・・・そんな話だったように記憶していました。当時私の実家にはビデオとゆう機械がありませんでしたし、携帯電話も今のようなパソコンの環境もありませんでしたから調べようも無く、そんな曖昧な記憶だけが残り「あぁこんなトロッコに興味を持つのは自分だけでは無かったんだ」とその亡くなった少年に親近感を抱いてしまいました。それから20年余り経った一昨年になって実はその「トロッコが好きだった少年」がタイトルもそのままにその少年のお母様の著作で単行本化(※2)されていると知りまして入手しました。テレビで見て覚えている内容・記憶が違ってた箇所・知らなかった事実がありました。その中でその少年がある場所に付けた駅名「ミカンが丘」・・・その時点でそこに実際の駅も線路も無かったわけですが・・・もしもこの少年が鉄道の敷設を実現していたらきっとどこかに「ミカンが丘」駅を作ったんだろうな?と勝手に私が解釈し、ご健在であるご両親に直接お会いして「駅名使用承諾の許可(※3)」を戴き・・・ただ私の想いもありますので「ミカンが丘みかんヶ丘」に改めて、急遽ここに乗降場ではありますが設置を決めました。小さな乗降場になる予定ですがそんな想いを込めています。現在はまだ未開業ですし、乗降場周辺を見渡してもミカンの木は見当たりません。気候的にすっぱい系の柑橘類は育ちそうですが甘い系の柑橘類は難しい状況で、まだ苗も何も植えていませんが乗降場開設の際には植樹をしたいと思っています。


※1  後に単行本を読んでからの私の解釈を含みます。

※2  トロッコが好きだった少年・馬場邦枝 著・未來社1986年・現在絶版

※3  難しいことを言う意味ではなく直接お会いしてお話しを伺いたかったため。「いいですよ、どうぞ使ってください」とおっしゃってくださいました。




今後の予定・計画など  現在はまだ未開業で、概ね柚ノ木谷線全通後の開業になるかと思います。乗降場開業後は当乗降場を下り列車(柚ノ木谷方面ゆき)専用として、隣の白熊駅(現在は乗降場)を上り列車(平谷中野方面ゆき)専用とする予定です。国鉄・士幌線(昭和62年廃止)の黒石平駅と電力所前・仮乗降場の関係のようにすることによって短い駅間のそれぞれの駅・乗降場に意味を持たせてあげたいと思っています。士幌線の場合は勾配の関係で前述のような事案となりましたが、ここの場合は急曲線の関係となりまして・・・全くの思い付きではありません。ただ現在も将来も列車ダイヤも無く定期列車も無い状態ではあんまり意味は無くなってくるのですが・・・そうゆう意味で「月に1回(程度)」などと決めて列車ダイヤに沿った定期列車の運行はしたいと思っています。


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▲ 現在のみかんヶ丘乗降場予定地から機関庫予定地を経て奥に平谷中野駅予定地を望む。【18・08・28】


現在は平谷中野駅から発し左分岐で機関庫への側線が別れますが、当初は前述の起点側延伸計画もありこのみかんヶ丘乗降場予定地付近(設置の予定は無かったので分岐駅は白熊)から西方へ分岐して完全なる支線を形成して機関庫を設置する予定でした。しかし素人作りの築堤では不安も残り・・・この支線とその線内への機関庫を断念しています。上の画像はまだ断念をする前ですからユンボで穴を掘ってます・・・池を作ろうと思ってたのですが前述の通り予定の変更をしています。


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▲ 上の画像のその後。この時に築堤上の機関庫を諦めているようです。【18・12・17】


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▲ 現在の地形に近くなってきた。手前がみかんヶ丘で奥が平谷中野方面。【19・04・28】


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▲ みかんヶ丘乗降場予定地(赤い線の位置)から白熊方面を望む。青い線はその後に出来た道で踏切になる予定。【19・03・04】


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▲ その後、機関庫への線路を敷設し本線工事中のころ。赤い線の位置がみかんヶ丘乗降場の予定地。まだ何も無い。【20・02・06】


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▲ 白熊方面(画像手前)からみかんヶ丘予定地(赤い線)を経て平谷中野方面(画像右奥)を見る。青い線は踏切予定で線路から分岐する緑の線は前述の機関庫支線。この支線も一番最初の予定では本線になる予定だった。【20・03・08】


現在急な勾配が存在する柚ノ木谷線ですが当初は勾配を設けずに動力車の導入も考えていませんでした。しかし白熊付近で地面に埋まる大きな岩を掘り起こすことが出来ずに・・・そのために勾配が発生しました。最初の予定ではこのみかんヶ丘付近でも今よりも1m余り下のほうを通り、上の画像の築堤方面へ軌道を延ばしもっと大きなカーブを描いて市道(当時は町道)と平行に軌道を敷設しようと思っていました(現在は市道に対してほぼ直角)。この道路と平行に軌道を敷設することによって起点側延伸をスムーズにするつもりでしたが実現しませんでした。今から思えば岩を割ってでも・・・でもそれによって勾配が無くなって動力車が意味を持たなくなったら?果たしてどちらが良かったのかはわかりませんが。


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▲ 平谷中野から白熊方面を望む。堀川工機MCの初入線。みかんヶ丘(赤い線)・踏切と道(青い線)・機関庫支線(緑の線)。【20・06・03】


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▲ 今から思えばトンデモナイカーブでした。【20・11・26】


勝手に鉄道を建設していますから最初に大雑把に「自宅前から田圃まで軌道敷設」とゆう計画を立てて・・・それ以降は工事を行い乍らちょこちょこと細かい変更などをして現在に至ります。そのちょこちょこがかなり多いものですから私自身も忘れていることがあるかも知れません。そんな感じで思い出し乍ら・・・です☆


次回は白熊乗降場の予定です、お楽しみに☆

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