【白熊乗降場】
よく降ります・・・こうして私の仕事がどんどん溜まってゆくのです☆
白熊(しろくま)乗降場
・開業 2008(平成20)年11月20日
・駅中心キロ程 0k039m000
・乗降数 0人
・設備 プラットホーム(平成20年11月20日使用開始)・駅舎併設貨物上屋(予定)
・駅名の由来 地名が無い場所に地名を付けてゆくのは面白くもありますが、どうしようもない地名をうっかり付けてしまうと後悔しますから気を付けなくてはなりません。個人的に「北○○」とか「上○○」或いは「紀伊○○」とゆう駅名は付けたくはありません(東西南北・上中下・旧国名)。しかし「奥○○」とか「熊簡○○」或いは「新○○」は別にいいかと思っています(奥・社名略称・新旧)。でもそればかりでは面白味に欠けてしまいますから・・・そんなことを思っていました。そんな頃に「白樺の木の自生最南端が奈良県」とゆうことを知りまして「それなら三重でも育つんじゃないか?」とゆうことで白樺の木の苗を購入しました。合計30本の苗を自宅の前、庭、それに線路沿いに植えましたが、やはり気候のせいもあるのでしょうか、自宅の前は枯れて線路沿いは12本中8本が枯れて・・・現在は残り4本になっています。この線路沿いの白樺並木(だいぶスカスカになりましたが)が「自称・日本最南端の白樺並木」と私が勝手に名乗っています。その並木に近い駅・・・とゆうことで「白樺のある熊野市」→「白樺熊野」→「白熊」とゆう安易な発想で付けましたが気に入っています(この場合の熊野は熊野地方の熊野ではなく熊野市の熊野とゆう意味です。熊野簡易軌道の熊野とは意味が違っています)。
・今後の計画・予定など 最初期の予定ではここに駅を作る計画も軌道が通る予定もありませんでしたが、あまりに無謀な計画だったために現在の軌道がここを通っています。最初の無謀な計画とは・・・白熊~熊簡桜台の間にある旧道踏切付近から現在の平谷中野駅付近まで直進し、そのためにこの間を長大隧道(約30~50m程度)にして最短距離で結ぼうとしましたが・・・あまりに無謀な計画ですぐに断念して現在のルートに切り替わり白熊乗降場が生まれることになりました。ちなみに最初期のその長大隧道を掘るために熊簡桜台側から旧道踏切にかけて不自然なカーブを描いている(と私は思っている)のはその名残りです。もしもこの長大隧道に着手していたら開通は10年は遅れていたことでしょうが「梅林の下の長いトンネルを抜けると柚ノ木谷だった」とゆうストーリーも・・・最初はあったのです。そんなルート変更で生まれた白熊乗降場ですが、やはり設置の意味を持たせるために本線(最初期の本線、後の機関庫支線)と支線(最初期の車庫支線、現在の本線)の分岐駅として駅を設けることにしました。しかし度重なる計画変更で結局分岐駅にはなりませんでした。しかしこれまた私の思い付きで旧道踏切から白熊乗降場の間にある切り通しを隧道化することにしまして、その工事の際にここへの資材到着駅として活用することにしました。現在は乗降場ですが工事開始前に駅へ昇格させる予定です。またその際にはプラットホームや駅舎・貨物上屋なども整備して・・・隧道工事終了後は農業倉庫などへ転用のつもりです。また隣の「みかんヶ丘乗降場」開業の際には上り列車(平谷中野方面へ)の専用駅となる予定ですが、これは隧道工事が終わってからになるかと思います(詳細は【みかんヶ丘乗降場】を参照してください)。
▲ ユンボの通り道が出来た頃の白熊駅予定地(赤い線)。【18・08・28】
▲ 道床工事をしている頃。白熊駅(赤い線)と奥に熊簡桜台駅(青い線)、雲駅(緑の線)。【18・12・17】
▲ 白樺の木を植樹した頃(矢印)。【19・02・02】
▲ レールの敷設。【20・02・06】
▲ 工事列車とジンクロ(レールを曲げる道具)。軌道運搬車に乗っているミカンコンテナの中にはミカンジュースの絞りカスが入っていて死重を担っている。【20・03・08】
▲ 機動運搬車の試運転。【20・05・22】
▲ 台風で白樺の木が倒されている(矢印)。そんな中で堀川工機MCの初入線。【20・06・03】
▲ 開業直後の白熊乗降場。【20・12・07】
▲ みかんヶ丘付近から白熊乗降場を望む。【20・12・31】
そんなわけでまた毎日更新してしまっています☆明日はどうなりますか?次回は【熊簡桜台乗降場】その《前編》の予定です。お楽しみに☆
2009-10-06 20:01
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0