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くまかんのおしらせ【21・10・08】

日付の設定が良くわかりませんので、最新の記事はこの次になります(最初に保存した日付で公開されている関係で記事が前後しています)。



本日もご覧戴きましてありがとうございます。

誠に勝手乍ら、台風18号災害復旧作業のため、当分の間は当ブログの更新を見合わせます。

また、被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。


  


熊野簡易軌道・くまかん


【熊簡桜台乗降場】《前編》

え~ご無沙汰していました・・・って10日も空けていないのですが☆本当は10月8日にも更新予定でしたが記事を書いてる途中で保存もしていないまま・・・台風の影響で停電になりましてね(あはは)・・・最初から書き直しになってしまいました☆そんなわけで遅くなりましたが明日は「鉄道記念日」ですからそれを記念して更新します。予定よりも1日早く更新しますが・・・また停電したら大変ですからね~☆

  


熊簡桜台(くまかんさくらだい)乗降場

・開業  2008(平成20)年5月27日(信号所)

・乗降場化  2009(平成21)年5月21日

・駅中心キロ程  0k065m500

・乗降客 不明

・設備 プラットホーム(1代目・平成20年5月27日使用開始・平成21年5月21日使用廃止撤去)

プラットホーム(2代目・平成21年5月21日使用開始)

手押し専用側線(平成21年5月21日廃止撤去)


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▲ 現在の旧道踏切付近。よくよく考えてみればこの画像を撮る直前にデジカメを購入しているので、これより古いデジカメの画像などあるわけないと気が付きました。【18・08・20】


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▲ 道床の工事中。赤い線が現在の熊簡桜台乗降場(雲→熊簡桜台)。【18・08・20】


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▲ 同じく工事中(白熊→熊簡桜台)。青い線は側線の位置。【18・08・28】


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▲ 枕木を並べ始めたころ。画面手前・旧道踏切から画面中程に熊簡桜台、画面奥に雲駅。【18・12・17】



・駅名の由来  北海道とゆうところが私は好きです。北海道のどこと特定するときもありますし全体的にとか漠然ととゆうときもあります。それは場所とゆう意味になることもあれば違う時もあります。例えば「イ●ローよりも駒●苫小牧(北海道の人には通じると思います)」とか?そんな特別な想いがあるのは20代の時に6年余り住んでいたことも多少含まれるのかも知れません。39年分のたった6年でしたからとても短い期間でした・・・過ぎてしまえば。でも東京で生まれ育った私が今この熊野で生活してゆけるのはこの北海道時代があったからこそ成り立っているように思います。逆に無いままここに来ていたら根を下ろすことも無かったかも知れないと思っています。私の故郷(ふるさと)は東京ですから北海道を故郷とは呼べませんが、それでもそれに似たような想いを勝手に名乗らせて戴くことを北海道が許してくれるのなら今の私の原点は北海道にあると・・・勝手に想っています。そんな想いを忘れたくはなくて「簡易軌道」を敷設しています、北海道にしか無かった簡易軌道を。それでもやはり本当の故郷にはまた特別な想いも湧いてきます。北海道を旅していると・・・不思議な地名に出会うことがあります、石狩市兵庫県団体(ひょうごけんだんたい)・空知管内長沼町加賀団体(かがだんたい)・士別市福島団体(ふくしまだんたい)・・・それぞれの県から団体で未開の北海道に開拓のために入った時に付けた地名なのでしょう。大きな地名としては空知管内新十津川町、北広島市などがあります。その他、団体入植の際の企業(開拓会社)名を付けた地名(駅名など)・・・北見市内・北光社【ほっこうしゃ※1】・帯広市近郊・晩成社【ばんせいしゃ※2】・空知管内幌加内町帝白【ていはく※3】など、その他にも開拓者の中心人物の名を付けたり、百戸(世帯)で入植した団体の開拓地で失火によって1戸(世帯)を失った時に「残りの99戸(世帯)でこの未開の地を切り拓こうと気持ちを新たにして・・・」名乗ったとゆう士別市九十九(つくも)など。様々色々な思いはあっても・・・入植者はやはり故郷を想う気持ちが強いのだろうと、そして今もなお故郷を忘れずにその小さな地名を守り続けていることに感動します。そんな私も未開の・・・ではありませんが開墾して農地を切り拓いています。軌道を敷設することになり駅を作る際に・・・せめてひとつは故郷に因んだ駅名を付けたいと想っていました。実際にこの駅の上に大きな桜の木がありますから、それを私の故郷の地名と合わせて「桜台」・・・でも故郷にも駅はありますからそれに遠慮して「熊簡桜台」としました。どんな時代の開拓者も故郷の地名を付けたくなるんですね。


※1 北光社・・・坂本龍馬の甥の坂本直寛が高知県で設立。平成18年に廃止された北海道ちほく高原鉄道(←池北線←網走本線)にも同名の駅があった。市内の地名では「北光」で残っている。

※2 晩成社・・・静岡県の依田勉三が設立。帯広近郊で初めて開墾入植した。昭和62年廃止の国鉄・広尾線に人名から「依田駅」があったほか、その駅のあった十勝管内幕別町に依田の地名、同管内大樹町などに「晩成」の地名が残る。

※3 帝白・・・帝国砂白金鉱業。前述の北光社・晩成社などとは時代も目的も異なり戦後になって食料増産のための開拓団。他に平成7年廃止の深名線・蕗之台駅(駅は平成元年12月から休止し平成2年3月廃止)周辺などにも開拓に入った(蕗之台小学校卒業生からの証言)が数年で解散。帝白地区は無人、蕗之台周辺も他の開拓入植者の転出で現在は無人。


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▲ 今から思えば枕木を並べてレールを敷設してから砂利を入れるべきだったのですが・・・先に入れてしまったとゆう画像。そのくらいド素人だったのです☆【19・03・04】


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▲ 畑の電気柵の機器用に電気を引く。思い付きで「でんわ」と書いてしまった。【19・03・31】


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▲ 草を綺麗に刈るとこんな景色。【19・04・12】


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▲ 線路の敷設工事。【20・03・29】


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▲ 現在の雲駅の位置から撮った桜台の桜。【20・04・11】


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▲ 反対側から。【20・04・11】


当初は平谷中野駅と同様に「駅」で開業予定でしたが、途中駅を充実させるよりも「まずは全通を優先」として側線を配置した信号所として開業しました。このため当初は枕木を半分にしたものを運転上の乗降台(平谷中野駅の1代目ホームと同様)を置いているだけでした。側線についても全通優先のため、バラストを敷かずに動力車の入線は不能でした。この後に平谷中野~みかんヶ丘の曲線改良工事のガードレール用にこの側線のレールを供出することになりまして撤去しました。これによって「信号所」である必要もなくなり乗降場へ格下げとなりました。ただ現在も分岐器と側線の一部レールは残っていますが、その間は繋がっていませんので車輌の進入は出来ません。また平谷中野駅で不要になった同駅2代目のホーム(軌道運搬車)を長らくこの側線で留置していましたが、この側線撤去に伴い同車輌を廃車し当乗降場のホームへ転用しました。このため曲線改良工事の竣工と側線を撤去して乗降場化した日付にずれがありますのはそのためです。また乗降場化された日に側線は本線と分断しましたので側線撤去の日付も乗降場化の日付と同じになっています。ところで1代目のホームですが形は現存していまして、当乗降場のベンチ兼駅名表として活躍しています(駅名の表記は「信号所」のまま)。


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▲ 現在の熊簡桜台から旧道踏切・白熊方面を見る。一番最初の予定では直進して隧道を抜き最短距離で現在の平谷中野付近へ出るつもりでしたがあまりにも無謀な計画ですぐに却下し現在のルートへ変更しました。【19・02・20】


・今後の予定 【熊簡桜台乗降場】《後編》に記載します。


  

  



次回は【熊簡桜台乗降場】《後編》の予定です。更新予定日は大雨が降った日にでもなりましょうか?



【白熊乗降場】

よく降ります・・・こうして私の仕事がどんどん溜まってゆくのです☆


白熊(しろくま)乗降場

・開業  2008(平成20)年11月20日

・駅中心キロ程  0k039m000

・乗降数  0人

・設備 プラットホーム(平成20年11月20日使用開始)・駅舎併設貨物上屋(予定)

・駅名の由来  地名が無い場所に地名を付けてゆくのは面白くもありますが、どうしようもない地名をうっかり付けてしまうと後悔しますから気を付けなくてはなりません。個人的に「北○○」とか「上○○」或いは「紀伊○○」とゆう駅名は付けたくはありません(東西南北・上中下・旧国名)。しかし「奥○○」とか「熊簡○○」或いは「新○○」は別にいいかと思っています(奥・社名略称・新旧)。でもそればかりでは面白味に欠けてしまいますから・・・そんなことを思っていました。そんな頃に「白樺の木の自生最南端が奈良県」とゆうことを知りまして「それなら三重でも育つんじゃないか?」とゆうことで白樺の木の苗を購入しました。合計30本の苗を自宅の前、庭、それに線路沿いに植えましたが、やはり気候のせいもあるのでしょうか、自宅の前は枯れて線路沿いは12本中8本が枯れて・・・現在は残り4本になっています。この線路沿いの白樺並木(だいぶスカスカになりましたが)が「自称・日本最南端の白樺並木」と私が勝手に名乗っています。その並木に近い駅・・・とゆうことで「白樺のある熊野市」→「白樺熊野」→「白熊」とゆう安易な発想で付けましたが気に入っています(この場合の熊野は熊野地方の熊野ではなく熊野市の熊野とゆう意味です。熊野簡易軌道の熊野とは意味が違っています)。



・今後の計画・予定など  最初期の予定ではここに駅を作る計画も軌道が通る予定もありませんでしたが、あまりに無謀な計画だったために現在の軌道がここを通っています。最初の無謀な計画とは・・・白熊~熊簡桜台の間にある旧道踏切付近から現在の平谷中野駅付近まで直進し、そのためにこの間を長大隧道(約30~50m程度)にして最短距離で結ぼうとしましたが・・・あまりに無謀な計画ですぐに断念して現在のルートに切り替わり白熊乗降場が生まれることになりました。ちなみに最初期のその長大隧道を掘るために熊簡桜台側から旧道踏切にかけて不自然なカーブを描いている(と私は思っている)のはその名残りです。もしもこの長大隧道に着手していたら開通は10年は遅れていたことでしょうが「梅林の下の長いトンネルを抜けると柚ノ木谷だった」とゆうストーリーも・・・最初はあったのです。そんなルート変更で生まれた白熊乗降場ですが、やはり設置の意味を持たせるために本線(最初期の本線、後の機関庫支線)と支線(最初期の車庫支線、現在の本線)の分岐駅として駅を設けることにしました。しかし度重なる計画変更で結局分岐駅にはなりませんでした。しかしこれまた私の思い付きで旧道踏切から白熊乗降場の間にある切り通しを隧道化することにしまして、その工事の際にここへの資材到着駅として活用することにしました。現在は乗降場ですが工事開始前に駅へ昇格させる予定です。またその際にはプラットホームや駅舎・貨物上屋なども整備して・・・隧道工事終了後は農業倉庫などへ転用のつもりです。また隣の「みかんヶ丘乗降場」開業の際には上り列車(平谷中野方面へ)の専用駅となる予定ですが、これは隧道工事が終わってからになるかと思います(詳細は【みかんヶ丘乗降場】を参照してください)。


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▲ ユンボの通り道が出来た頃の白熊駅予定地(赤い線)。【18・08・28】


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▲ 道床工事をしている頃。白熊駅(赤い線)と奥に熊簡桜台駅(青い線)、雲駅(緑の線)。【18・12・17】


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▲ 白樺の木を植樹した頃(矢印)。【19・02・02】


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▲ レールの敷設。【20・02・06】


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▲ 工事列車とジンクロ(レールを曲げる道具)。軌道運搬車に乗っているミカンコンテナの中にはミカンジュースの絞りカスが入っていて死重を担っている。【20・03・08】


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▲ 機動運搬車の試運転。【20・05・22】


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▲ 台風で白樺の木が倒されている(矢印)。そんな中で堀川工機MCの初入線。【20・06・03】


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▲ 開業直後の白熊乗降場。【20・12・07】


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▲ みかんヶ丘付近から白熊乗降場を望む。【20・12・31】


そんなわけでまた毎日更新してしまっています☆明日はどうなりますか?次回は【熊簡桜台乗降場】その《前編》の予定です。お楽しみに☆


【みかんヶ丘乗降場】

雨ですね~現在天候待ちですのでこんな時間に更新です☆



みかんヶ丘(みかんがおか)乗降場

・開業  未開業

・駅中心キロ程  0k025m000

・乗降数 未開業

・設備  プラットホーム・便所・待合室(それぞれ予定)


  


・駅名の由来  平谷中野駅と当乗降場の次の白熊乗降場との距離が約40mとゆうこともあり当初は設置の予定もありませんでした。私がこの軌道敷設を夢見たのには様々な思いがあり「何かひとつのこと」が影響していたわけではありません。実に多くの様々なことが重なり夢が膨らんでゆきました。ですから改めて「こうゆうことに影響されて・・・」とゆうことが単純に言えません。小学生の時に「(北海道の)簡易軌道」の存在を知り(今から思えば簡易軌道全廃後10年あまりでしたから痕跡は多く残っていたのでしょうが、小学生でしたから☆)中学生になってからナローゲージ・トロッコそういった分野に興味を持ち始めました。受験を控えた冬のある日、新聞のテレビ欄に「トロッコが好きだった少年」とゆうタイトルの放送があることを知りました。ところが再放送か何かだったのでしょうか、とんでもない深夜の放送で・・・それでも家族が寝静まったあとで1台しか無かったテレビでその放送を見ました。ある少年がトロッコ鉄道の実用と保存(※1)を夢見て模索している途中の旅先で走行中の汽車から転落し亡くなった・・・そんな話だったように記憶していました。当時私の実家にはビデオとゆう機械がありませんでしたし、携帯電話も今のようなパソコンの環境もありませんでしたから調べようも無く、そんな曖昧な記憶だけが残り「あぁこんなトロッコに興味を持つのは自分だけでは無かったんだ」とその亡くなった少年に親近感を抱いてしまいました。それから20年余り経った一昨年になって実はその「トロッコが好きだった少年」がタイトルもそのままにその少年のお母様の著作で単行本化(※2)されていると知りまして入手しました。テレビで見て覚えている内容・記憶が違ってた箇所・知らなかった事実がありました。その中でその少年がある場所に付けた駅名「ミカンが丘」・・・その時点でそこに実際の駅も線路も無かったわけですが・・・もしもこの少年が鉄道の敷設を実現していたらきっとどこかに「ミカンが丘」駅を作ったんだろうな?と勝手に私が解釈し、ご健在であるご両親に直接お会いして「駅名使用承諾の許可(※3)」を戴き・・・ただ私の想いもありますので「ミカンが丘みかんヶ丘」に改めて、急遽ここに乗降場ではありますが設置を決めました。小さな乗降場になる予定ですがそんな想いを込めています。現在はまだ未開業ですし、乗降場周辺を見渡してもミカンの木は見当たりません。気候的にすっぱい系の柑橘類は育ちそうですが甘い系の柑橘類は難しい状況で、まだ苗も何も植えていませんが乗降場開設の際には植樹をしたいと思っています。


※1  後に単行本を読んでからの私の解釈を含みます。

※2  トロッコが好きだった少年・馬場邦枝 著・未來社1986年・現在絶版

※3  難しいことを言う意味ではなく直接お会いしてお話しを伺いたかったため。「いいですよ、どうぞ使ってください」とおっしゃってくださいました。




今後の予定・計画など  現在はまだ未開業で、概ね柚ノ木谷線全通後の開業になるかと思います。乗降場開業後は当乗降場を下り列車(柚ノ木谷方面ゆき)専用として、隣の白熊駅(現在は乗降場)を上り列車(平谷中野方面ゆき)専用とする予定です。国鉄・士幌線(昭和62年廃止)の黒石平駅と電力所前・仮乗降場の関係のようにすることによって短い駅間のそれぞれの駅・乗降場に意味を持たせてあげたいと思っています。士幌線の場合は勾配の関係で前述のような事案となりましたが、ここの場合は急曲線の関係となりまして・・・全くの思い付きではありません。ただ現在も将来も列車ダイヤも無く定期列車も無い状態ではあんまり意味は無くなってくるのですが・・・そうゆう意味で「月に1回(程度)」などと決めて列車ダイヤに沿った定期列車の運行はしたいと思っています。


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▲ 現在のみかんヶ丘乗降場予定地から機関庫予定地を経て奥に平谷中野駅予定地を望む。【18・08・28】


現在は平谷中野駅から発し左分岐で機関庫への側線が別れますが、当初は前述の起点側延伸計画もありこのみかんヶ丘乗降場予定地付近(設置の予定は無かったので分岐駅は白熊)から西方へ分岐して完全なる支線を形成して機関庫を設置する予定でした。しかし素人作りの築堤では不安も残り・・・この支線とその線内への機関庫を断念しています。上の画像はまだ断念をする前ですからユンボで穴を掘ってます・・・池を作ろうと思ってたのですが前述の通り予定の変更をしています。


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▲ 上の画像のその後。この時に築堤上の機関庫を諦めているようです。【18・12・17】


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▲ 現在の地形に近くなってきた。手前がみかんヶ丘で奥が平谷中野方面。【19・04・28】


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▲ みかんヶ丘乗降場予定地(赤い線の位置)から白熊方面を望む。青い線はその後に出来た道で踏切になる予定。【19・03・04】


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▲ その後、機関庫への線路を敷設し本線工事中のころ。赤い線の位置がみかんヶ丘乗降場の予定地。まだ何も無い。【20・02・06】


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▲ 白熊方面(画像手前)からみかんヶ丘予定地(赤い線)を経て平谷中野方面(画像右奥)を見る。青い線は踏切予定で線路から分岐する緑の線は前述の機関庫支線。この支線も一番最初の予定では本線になる予定だった。【20・03・08】


現在急な勾配が存在する柚ノ木谷線ですが当初は勾配を設けずに動力車の導入も考えていませんでした。しかし白熊付近で地面に埋まる大きな岩を掘り起こすことが出来ずに・・・そのために勾配が発生しました。最初の予定ではこのみかんヶ丘付近でも今よりも1m余り下のほうを通り、上の画像の築堤方面へ軌道を延ばしもっと大きなカーブを描いて市道(当時は町道)と平行に軌道を敷設しようと思っていました(現在は市道に対してほぼ直角)。この道路と平行に軌道を敷設することによって起点側延伸をスムーズにするつもりでしたが実現しませんでした。今から思えば岩を割ってでも・・・でもそれによって勾配が無くなって動力車が意味を持たなくなったら?果たしてどちらが良かったのかはわかりませんが。


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▲ 平谷中野から白熊方面を望む。堀川工機MCの初入線。みかんヶ丘(赤い線)・踏切と道(青い線)・機関庫支線(緑の線)。【20・06・03】


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▲ 今から思えばトンデモナイカーブでした。【20・11・26】


勝手に鉄道を建設していますから最初に大雑把に「自宅前から田圃まで軌道敷設」とゆう計画を立てて・・・それ以降は工事を行い乍らちょこちょこと細かい変更などをして現在に至ります。そのちょこちょこがかなり多いものですから私自身も忘れていることがあるかも知れません。そんな感じで思い出し乍ら・・・です☆


次回は白熊乗降場の予定です、お楽しみに☆

【平谷中野駅】

土日が晴れたため農作業に追われて更新が出来ませんでした、この先もこんな感じで何日も更新が滞る場合があるかと思います。雨が降ったら更新・・・とも言い切れず、雨でも忙しい時はあります。


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▲ 平谷中野駅【19・02・20】


  


平谷中野(ひらたになかの)駅

・開業 2008(平成20)年5月27日

・駅中心キロ程 0k004m000

・乗降数 310人

・設備 プラットホーム(1代目・平成20年6月3日使用開始・同年7月10日使用廃止撤去)

プラットホーム(2代目・平成20年7月10日使用開始・同年12月7日使用廃止撤去)

プラットホーム(3代目・平成20年9月10日使用開始・同年11月15日使用廃止撤去)

プラットホーム(4代目・平成20年11月16日着工・同年12月1日使用開始)

待合室(平成21年4月10日着工・同年4月15日竣工・使用開始)

仮駅舎(平成20年9月10日・21日の2日間のみ使用)


よくよく調べてみますと(私も忘れていましたが)現在使用中のプラットホーム(本文中は「ホーム」と略・以下各駅同)は4代目とゆうことが判明しました。1代目のホームは乗降台のようなもので堀川工機・軌道モータカーの入線に伴い設置しているようです。その後、試乗会を実施するに当たり「それなりのホーム」の必要性を感じて線路の敷設に活躍したものの「機動運搬車」の導入に伴いほぼ休車中の「軌道運搬車」を車輪付きのまま当駅のホームに2代目として転用しました。車輪付きのまま転用しましたのは、改めて新ホーム(4代目)を作る計画がありましたから、その際に用途不要で撤去する必要がありまして、雲駅または蟾島口乗降場へそのホームを再転用するため、当駅から自力回送する目的で車輪を残しています。実際には2代目は当駅での撤去後に熊簡桜台信号所(当時)へ自力回送し側線に留置後に車輪を撤去したうえで、現在の熊簡桜台乗降場で使用中です。また1代目のホームはやはり試乗会の実施と当駅の2代目ホーム設置に伴い、雲駅ホームへ転用しています。その後、雲駅は移転していますがこのホームは現在も使用中です。3代目のホームはこれもやはり試乗会の実施に伴い2代目ホームを「乗車ホーム①」この3代目ホームを「降車ホーム②」として分けましたが、試乗にいらっしゃる方が思ったほど多くはありませんでしたから当初の試乗会期間終了を待たずに現在の4代目ホーム着工の際に撤去しています。その後、このホームは白熊乗降場へ転用しています。仮駅舎は試乗会に伴いテントを張った簡素なもので当初考えていたほど来る人も少なく、10月以降は設置を省略しました。


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▲ ホームも何も無い平谷中野駅・・・になる場所。【19・11・10】


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▲ 元・立山砂防軌道で活躍した堀川工機・軌道モータカー(MC)と中古レールが到着。堀川MCのために新品のレールを敷設しておいた。【19・11・10】


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▲ 全国各地で鉄などの盗難のニュースが流れていた頃。それもあって早く敷設をしなければ・・・とゆう思いもあった。【19・11・10】


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▲ 幻の?1代目ホーム。【20・06・18】


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▲ 2代目ホームの使用開始。既に1代目は撤去してある。【20・07・10】


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▲ せめて駅らしく・・・と駅名表を立てた。この駅名表は現在も使用中ですが当時の隣駅の雲(ん)が逆方向になっているのは、ホームが逆になったためで・・・その書き換えを怠っているとゆうことです。【20・07・15】


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▲ 試乗会の初日。「誰も来ないか500人くらい来て慌てるか?」と思っていました。天気のこともあり仮駅舎(ただのテントですが)を設置して試乗希望者を待ちました。右側に②の3代目ホームも写っています。【20・09・10】


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▲ 仮駅舎の臨時出札口と待合室(後方)。この日は5人が試乗に来てくれた。ゼロではなかった。【20・09・10】


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▲ ②の3代目ホームと堀川MC。【20・10・10】


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▲ 10月以降は仮駅舎を省略して露天の出札口だけにした。【20・10・19】


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▲ 実用農業鉄道として・・・ソバの運搬。【20・11・13】


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▲ 当初の試乗会の最終日。本当は翌日から4代目ホームの工事を開始する予定だったが「誰も来ないだろう」と1日前倒しして着工した。【20・11・16】


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▲ 頭端式ホームも考えましたが全通もしていないのに・・・とゆう思いもあり現在の4代目ホームの形になっています。ですから5代目ホームの誕生の可能性もあるわけです。【20・11・30】


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▲ 常夏の南紀・・・って霜で真っ白になりました。南紀でも山間部は非常に寒くなります。【20・12・08】



・駅名の由来 現在も使われている地名「平谷」と現在は使用されていない消滅した地名「中野」を合わせたもの。役場の公式資料では「平谷(ひらだに)」と発音しますが、地元の方の殆どは「平谷(ひらたに)」と発音し、役場の方が誤まりとゆう解釈もあるためそれに倣っています。当初は延長計画もあり最終的にここを起点駅にはせず、将来中間駅になることもあったため軌道工事開始時点では「平谷中野駅」を別に設けて、この駅の仮称が「雪泊(ゆきどまり)」としていました。県道からこの駅前に入る道はそのまま下へ降りてゆくと農道には繋がらず「行き止まり(ゆきどまり)」になるため、それをもじって漢字を当てた仮称駅名です。この駅名は現在沿線では使用していませんが熊簡桜台乗降場付近の軌道改良工事で支線の終点駅として復活するかも知れません。


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▲ 現実的な起点側の最終目標地でこの時点での仮称はここが「平谷中野駅」だった。現在の「平谷中野駅(仮称・雪泊)」よりも立派な土盛ホームはそのため。現在、この区間の着工予定は無く「工事凍結中」になり仮称駅名も「熊簡中野駅」に変更されている。【19・02・20】


・今後の予定や計画など 前述の通り現実的な起点側の目標地点は現在の当駅ではありません。ホーム1面、線路1線の・・・起点駅としては少し物足りないような小さな駅になっているのはその計画の名残です。現在は延伸計画を復活させる見込みはありませんが、現実の鉄道でさえ計画通りに全ての区間を開通させていることはそうそう多くはないことでしょう。またこの計画を遂行するためには当駅の線路配線を大きく変える必要がありましたり、現在作業が止まっている機関庫を別の場所へ移転させる必要もありますが、実際にこの区間を開通させても道路と平行しているため「実用」とゆう意味では大きく外れることもありまして工事凍結の解除は今のところ考えていません。このため正式に当駅を起点駅にするため、当初予定の無かった駅舎(駅本屋)などの建築を計画しています。それらと合わせて駅前広場(狭場?)の整地や農業倉庫・機械庫・作業小屋なども周辺に点在させることになりそうです。また敷地内に「公園」を作ろうかとゆう案もあります。その他、条件次第で家畜の飼育も視野には入れていますが現在は条件が整っていませんので不可能です。





次回は「みかんヶ丘乗降場(未開業)」へ続きます、お楽しみに☆






熊野簡易軌道・くまかん

最初に軌道の概要などを書いておいた方がいいですね(先月の記事は忘れてくださいね☆)。


【農業支援鉄道】

熊野簡易軌道・くまのかんいきどう(略称は「くまかん」又は「くまかん軌道」)

柚ノ木谷(ゆのきだに)線

・所在地 紀伊半島の山奥

・軌間 610mm

・区間 平谷中野~雲~柚ノ木谷(雲~柚ノ木谷は工事中)

・距離 0.15km(平谷中野~柚ノ木谷)

・保有車輌 2輌

・軌道敷設の目的 車の入れる道の無い先にある柚ノ木谷の農地への農業資材や肥料などの運搬及び収穫物の運搬など。


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【熊野簡易軌道の名称について】

軌間(2本の線路の幅)610mm(2feet)のいわゆる「ナローゲージ」と呼ばれる小さな軌道です。一般的には「ナローゲージ・イコール・軽便鉄道(軌道)」と呼ばれることが多いようですが、ここ「熊野簡易軌道」は・・・何故か「簡易軌道」と名乗っています。その名の通り「簡易な軌道」とゆうこと・・・ではなくて、かつて北海道内にのみ存在した「殖民軌道・・・後の簡易軌道」に由来して名称を拝借しています。ですから「簡易な軌道」だから「簡易軌道」ではなくて「(北海道の)簡易軌道」に想いを寄せて(憧れて?)「簡易軌道」なのです。ですから「本格的な軌道なのになんで簡易軌道なの?」と聞かれることもありますが・・・そんな理由ですから、「軽便鉄道」とは少し意味が違ってきます。


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「鉄道」と表記せずに「軌道」としているのもその北海道に存在していた「簡易軌道」が「簡易鉄道」ではなく「簡易軌道」と呼ばれていたためです。「簡易」と「軌道」の2つの単語を組み合わせたのではなくて「簡易軌道」とゆうひとつの単語と解釈戴けたら幸いです。その本来の北海道の簡易軌道は・・・北海道内のみに存在していた国営軌道でしたからあえて断りを入れるまでも無く「簡易軌道」と言えば「北海道の簡易軌道」を指します。ですからあえて「北海道の」と付け加えるのは正しい表記ではないかも知れませんが今回は説明の便宜上とゆうことでお許しください。


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しかし残念乍ら現役の「簡易軌道」はもうありません、全て廃止になりました。そしておそらくもう2度と現実の簡易軌道が復活することはないでしょう。ですから「熊野」とあえて付け加えなくても堂々と「簡易軌道」と名乗ってもどこからもチャランケは付かないのでしょうが、私の北海道とゆう場所に対しての特別な想いがありましたり、本来の簡易軌道とは運営も目的も何もかもが違いますから・・・その辺りを遠慮して、恐れ多くも「簡易軌道」を名乗らせて戴いているとゆう感覚です。ですから「本当は(北海道の)簡易軌道とは何もかもが違って全く何の関係も無い軌道なんだけど簡易軌道と名乗っている軌道」とゆうことで、あえて「熊野」を冠せて「熊野簡易軌道」としています。


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この軌道の敷設されている場所が三重県の熊野市内になります。鉄道に詳しい方なら「湯の口温泉のトロッコ電車」をご存知かも知れませんが、その近くです。ただ「熊野簡易軌道」の「熊野」は「熊野市の熊野」とゆう意味では無く「熊野地方の熊野」とゆう想いで付けています。もちろんその「熊野」には三重県内に限らず和歌山県内も奈良県内も含まれるわけですが、実際に軌道が存在しているのはここだけですし他に出来る予定もありません。北海道の簡易軌道があえて「北海道簡易軌道」とは名乗っていませんでしたが、現実に北海道の広範囲に渡り多く敷設されていましたから、私の個人的な軌道も名称だけは大きく名乗りたいと思っていました。しかし「紀伊簡易軌道」だと語呂が良くないような気がしますし「紀州簡易軌道」だと実在の鉄道会社と間違えられそう・・・などと思いまして、行政などが正式名称としては使っていない?・・・けれど世界遺産などではわりと使われる「熊野地方」から「熊野」を拝借しています。北海道ほど大きなイメージは湧きませんが、それでも気に入ってる名称です(自分で言ってます☆)。


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また本来の簡易軌道が鉄道の類としてみなされず「道路の一種」「道路の変形型」としてみなされていたように、熊野簡易軌道もこれに倣っています。ですから見た目は鉄道ですが私の中ではあくまでも道路・・・農道の一種のつもりでいます。例えば「ガイドウェイバス」とゆうのが名古屋に走っていますが、あれをバスと見るか鉄道と見るか?法規上では鉄道になります・・・車体はどこからどう見てもバスにしか見えませんし一般的な鉄道のレールも見当たりませんが・・・立派な鉄道です。それとは逆の解釈で熊野簡易軌道は農道の一種とゆう位置づけでいます。これを鉄道と見るか、道路を走る車輌に見えるかは・・・人それぞれです。


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【農業支援鉄道とゆう実用と目的】

一般の鉄道法規によらない個人的な鉄道です。農道の一種と言ったばかりなのに鉄道と書くにはいささか矛盾もありますが、その辺りは都合良く鉄道になったり道路になったりしています。私は現在1町歩程度を耕作している農家を営んでいます。このうちの約1割の面積が軌道のある柚ノ木谷にあります。ここは長い間、耕作を放棄された農地でした。放棄されてしまう理由は様々ですが、ここは農地へ入るための道が狭く軽トラを乗り入れることさえ出来ませんでした。何を運ぶにも全て手作業で急な坂道を何往復もしなければならない立地にあります。出来ることならば私も長くここで耕作を続けたいと思っていますので、体力が落ちてからでも安心・安全な輸送手段が欲しいと思っていました。単に軽トラの入れる道路(私道)を作れば難なく目的は遂行出来るかと思いますが、残念乍ら話はそれで終わってしまいます。


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目的が無事に遂行できればそれで充分なのですが、プラスアルファを求めた場合は道路では少し物足りないような気がします。耕作放棄農地や山間部での営農を知ってもらうために・・・それはそれらに興味のある人を呼ぶのではなく、農業にも田舎にも興味の無い人に・・・とりあえず現状を知ってもらいたいと思っています。ですから農業とも田舎とも関係の無い、興味も無い人がここの鉄道を目指して来てくれたら嬉しいと思います。それで農業を始めて欲しいとかではありませんし、興味を持って欲しい・・・とも思いませんが実際に見て知ってもらえたら充分です。ただの道路でしたら私は誰も呼べる自信はありませんが、鉄道を敷設したおかげで1年間で120人(のべではありません)の方がいらっしゃってくれました。こんな山奥まで・・・遠くは北海道や鹿児島からも駆け付けてくれました。多くの方が山間部の営農を見て耕作放棄農地の現状を見てくだされば充分ですし、もしもそれでご自身が家庭菜園を始められたり、野菜などを購入する時に国産や産地にこだわって選ばれるようになったら私はそれで充分、この軌道が敷設された意義があると思っています。


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また工場や鉱山などで小規模な軌道・鉄道は昔はたくさん使われていましたが合理化とゆう名の元(など)で多くが廃止されてしまいました。しかし軌道はA点からB点へのように決まった場所へ決まったものを運ぶにはとても優れた輸送手段です。何も10km無ければ役に立たないとか100mじゃ物足りないとゆう次元の問題ではありません。たとえ5mであっても実用とゆう用途があれば立派に活躍してくれます。逆に実用とゆう目的があれば距離なんて関係ありません。自宅の庭を走る鉄道・・・実用の目的なんて後付けでいいのですが、そんな実用鉄道が広がっていったら私はとても嬉しいです。「個人で鉄道なんて絶対無理」と私も過去に言われた経験がありますが・・・今私は目の前に実現しています。鉄道の復権・・・などと言いましたら大袈裟ですが、個人的な・・・それはトロッコ軌道であるならむしろこれから注目されてゆく輸送手段だと思っています。実用トロッコ鉄道とは言いましても実用本位ではなく・・・そこに楽しさ面白さがどんどん付け加わってゆくように思います。「これはいいものだ」と誰かに何かを勧めても勧めた本人が使っていなければお話になりません。私は多くの人に助けられ乍らも個人で鉄道を敷設しました・・・絶対に無理とゆうことはありませんでした。こんなに面白くて楽しくて実用できる輸送手段が増えていってくれることを夢見てしまいます。


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実用としての農業を支援する鉄道はもちろんのこと、田舎にも農業にも興味の無い人にこの鉄道を通して何か伝えていくことが出来る可能性があるかも知れません。更に個人のレベルでも本物の鉄道を実現することが出来るとゆうことを伝えてゆきたいと思っています。そのほかいろんなことをレールの上に載せて汽車を走らせたなら「農業支援鉄道」などとゆう小さな枠の中に閉じ込めてしまうのがもったいないような気がしますが、それでもその小さな枠の中からでもこの軌道があれば私は何かメッセージを伝えてゆくことが出来そうな気がします。


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全線150mの中に起点・終点を含めて7つの駅を置きます。本当の実用だけを考えれば不要な数です。しかしそれぞれひとつひとつの駅に「理由」を無理矢理でも付けてあげることで「意味のある駅」に発展します。そして小さな改変が・・・わざわざであったとしても作ってあげたらそこに歴史が生まれます。それは架空の話ではなく、目の前で現実に起きている歴史です。ただ歴史を作っていると言ったら大袈裟になりましょうし自己満足の世界に入ってゆくわけですが、単なる遊び目的では無く実用とゆう目的があればその歴史も活き活きしてくるように思います。山間部での営農の現実はとても厳しいです。離農して出てゆく人の気持ちが私はよくわかります。こんなに苦労しなくてもいい仕事があるんじゃないか・・・よ~くわかります。でも私はここで営農を続けてゆくことでしょう。何故か?ここに私の軌道があるからです。その軌道を運営して守ってゆくことが出来るならどんな困難も私は乗り越えられそうな気がします・・・そんな意味で実は「自分支援鉄道」みたいなところがあるかも知れませんね。



 

次回【平谷中野駅】に続き(?)ます。くれぐれも先月の記事は忘れてくださいね☆


くまかんのおしらせ

本日もご覧戴きましてありがとうございます、今日はお知らせで文字ばっかりです☆

このブログをご覧戴いている読者さんから日付がわからなくなった画像の詳細を調べる方法をご教示戴きました、この場をお借りして御礼申し上げます。

  

その画像の整理などをしていまして改めて記憶だけに頼っているととんでもないことになると思いました。


・・・とゆうわけで過去の記事は忘れてください☆過去の記事を修正も削除もせずに改めて書き直します。「今までは何だったの?」とゆうこともありましょうが・・・世の中そうゆうこともあります(?)。今まで特に形式を考えずに書いてきましたが、これも改めます。


  


≪記事を書いてゆく順序≫

【1】平谷中野駅

【2】みかんヶ丘乗降場(未開業)

【3】白熊乗降場

【4】熊簡桜台乗降場

【5】雲駅

【6】蟾島口乗降場(休止中)

【7】柚ノ木谷駅(未開業)


記事によって前編・後編になることもあるかと思いますので7回で終わるとも限りませんし、毎日更新するとも思わないでください。だいたい10回前後になるかと思っています。


それ以降の記事については、駅の案内が終わってからまた「おしらせ」にて・・・と考えています。「駅」→「車輌」→「え~と・・・え~まずはそこまで書いて、その後はまた考えましょう☆


【駅について】


・駅名、乗降場名

・開業と沿革

・駅中心キロ程

・乗降客(※)

・設備

・駅名の由来

・今後の予定・計画など


こんな感じで各駅を統一してみます。※乗降客数に関しましてはきっちりした数字を残していませんので「おおよそ」の数字で「1日当たり平均」ではなく「1年間の、延べ数の合計」となります。


【画像について】


前述のようにデータが飛んで詳細もわからないままの画像もありますので一部は正確性に欠けます。また今回の駅の記事中の画像は2006(平成18)年・2007(平成19)年・2008(平成20)年に撮影した画像を使いますので近況と異なる場合があります。


また工事開始当初はフイルムカメラで一部撮影していますが現像もしていないはずですので公開が出来ません。またデジカメ導入直後もフィルム時代の癖でなるべく無駄な画像は控えようと思っていまして撮影枚数も極端に少なくなっています。


日付に関しては・・・【20・12・31】とゆうように西暦は省略します。また撮影日が不確定な画像には【20・12?・31?】或いは【20・??・??】などと「?」を入れてゆきます。


画像の撮影方向は特に定めていませんが、現地を知らない方にはさっぱり想像もつかないと思いますので以下のように記載してゆこうかと思います。


▼ この画像は熊簡桜台乗降場を平谷中野駅を背にして柚ノ木谷方面を向いて撮影したものです。この場合は、以下のように記載してみます。


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▲ 熊簡桜台乗降場を見る(平谷中野→熊簡桜台)。【20・12・31(例なので日付は適当です・以下同)】


▼ また反対側から同じ駅を撮った場合は・・・


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▲ 熊簡桜台乗降場を見る(雲→熊簡桜台)。【20・12・31】


と、記載することによってなんとなくお分かりいただけるかと思います(?)。つまり「撮影の際に私の背中方面にある駅名私が見ている方の駅名」とゆうことになります。ただ未開通区間を含んで全線で0.15km・・・つまりは150mの中に起点・終点駅を含んで7駅ありますから場所によっては次のその次の駅も画像の中に入ることもありますが、出来るだけその画像の説明の中に記載しようと思いますが、忘れることもあるでしょうからその辺りは適当に流して(?)ご覧ください。


撮影は全てコンデジを使用していますのでピントがかなり甘い場合もありますが撮ってる本人の私が殆ど何も考えていませんのでご了承願います。ピントとか構図とかは考えずに「何か写っていればいい」とゆう感覚です(真っ暗で何も写っていない時もありますが)。年によって機種が違いますが、現在は「キャ●ン・パワーショット・E1(ピンク色)」です。


【駅のデータについて】


非公式な軌道ですから何をやっても非公式なわけですが、開業日や乗降場化・移転・休止などを記してゆきます。駅中心キロ程の算出方法も実際の鉄道・軌道とは異なる場合もありますが、くまかん独自のものとご解釈戴けたら幸いです。そのほか様々色々国鉄などと違うところもありますが、あくまでも私の個人的な軌道ですから・・・違っているところは多くあると思います。



などと、どうでもいいことを真面目に?書いてしまいました☆あくまでも個人的な個人軌道ですからそんなことをいちいち書かなくても気軽に書いていけばいいのですが、熊野簡易軌道とゆう名称を名乗って来年のお正月で6年になり、また軌道の工事着手から4年が過ぎました。既に記憶が曖昧になっている部分もありますから、ひとつのいい機会としてこのブログを立ち上げて・・・なるべく真面目に?軌道のことを書いてゆこうと思っています(くれぐれも前の記事は忘れてくださいね☆)。軌道は全通に向けての工事も時々行っていますし・・・現在進行形ですからこのブログもネタ切れや最終回を迎えることもないはずですが(?)、来夏に希望的予定の全通を迎えましたら・・・軌道のことで印刷物として残してみたいとゆう想いがありますから、その準備の下書きとゆう感覚でしょうか?ちなみに最初にお断りしておきますが私は日本人ですが日本語が下手です・・・文法もよく考えていないところもありますから読みにくいところもあるかと思いますが、心の広い読者の皆様ばかりと信じています☆それから・・・(笑)と入れるのが面倒なので同意語(?)として私は☆を使っていますので、そうご解釈戴けたらありがたく思います。


 


明日以降、改めて書いてゆきます。明日になるか明後日になるかは・・・わかりませんが☆


またこのブログとは別に私の平凡な日常を綴った日記もあります・・・が、大して面白くない話が多いのでタイトルに騙されないようにご注意ください。

熊野簡易軌道(くまかん)http://kumakankidou.blog5.fc2.com/



くまかん軌道

画像 1451s.JPG思い付きでもうひとつブログを立ち上げることにしました。思い付きですから更新の頻度は・・・考えていません。
ここでは主に私の個人的な軌道「熊野簡易軌道(略称・くまかん)」の日常風景を画像としょうもない文章で綴ってゆく・・・かも知れません。



簡単に軌道の概要を。

熊野簡易軌道(くまのかんいきどう)
柚ノ木谷(ゆのきだに)線
軌間・・・610mm
区間・・・平谷中野~雲~柚ノ木谷(雲~柚ノ木谷は工事中)
距離・・・0.15km(平谷中野~柚ノ木谷)

・・・と、簡単ですがまたそのうちに☆


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